生活

某テスト氏の生活

0517_2017

0715:起床

 

睡眠不足。時間ぎりぎり。

 

夢を見た。夢の中の僕は、「今日で自分が死ぬ」ということがわかっていた。

気が付くと寂れた巨大な遊園地にいた。巨大なジェットコースターが視界に在った。

僕はそれを眺めながら、大切な人に「電話で自分の死のことを伝えようか、それともそれを伝えずに、ただ電話をかけて声を聞こうか、それとも連絡をせず、直線的に死に向かってそのまま流れに身を任せるか」ということを考えていた。夢の中の僕は、現実の僕と同じ人を「大切な人」と認識していた。僕は電話をかけなかった。

夢から覚めたとき、自分の心臓が痛いことに気づいた。

 

仕事はまぁ予想通り大丈夫じゃない。本当にぎりぎり。

明日明後日が勝負。

定退日なので1730退勤。

 

iBooksで買った、熊野純彦の「レヴィナス入門」を読んでいるが、彼はフッサール解釈、ハイデガー解釈、レヴィナス解釈に失敗していると思う。

これ以上、読む必要がなさそうだが買ってしまった手前何処かで僕はすでに敗北している。更に、どこがどう失敗しているのかすべて記述できなければ僕は、結局敗北していることになるだろうか。とりあえずこれを最後まで読み切ろうと思う。

0516_2017

0530:起床

 

昨日気づいたら寝ていて。目が覚めたらこの時間だった。

故、昨日の日記の更新が今日の朝となった。

いつもより50分ほど早く家を出て喫茶店でパンとコーヒーと煙草と読書。

ヘーゲルの「精神現象学」を読む。模範社会人である。

天気も良く店内に差し込む日差しが温かく。

 

仕事はなんとか。明日は定時。

金曜日に現場の人とダーツをやりに行く約束をした。

今日は1930:退勤、今週はなんとかなるかな。ぎりぎり。

来週のことも考えなければちょっと厳しいかもしれぬ。

合間に芦田氏のこれをずっと読んでいた。

http://www.ashida.info/blog/2011/11/1988.html

 

0515_2017

0650:起床 睡眠不足

 

仕事はなんとかなった、割と。指摘を受けたところはごもっともなので修正ということになり、修正しましたが寧ろこの作業で理解が深まったのでよかったと思う。残業。

1900:退勤

 

T駅喫茶店で煙草を吸って只管何もしない。

 

積んである本を読むべきなのか、ナンシーを読み返すべきなのかよくわからない。

 

2245:就寝 していたと思う。気付いてら寝ていた。

0514_2017

1200:起床

 

T駅喫茶店に入る。

無為の共同体」を読む。

 

なんとなく家電製品を見に行った。

なんというか新しい物欲しさ故。気分を変えたい故。

取り敢えずPCが欲しい。現状Sueface Pro3を使っている。

自立しないヒンジと若干の大きさと排熱の悪さ以外はなんともない。

寧ろカッコよさにひかれたのでそのあたりは小さなネガティブさでしかない。

 

最初は、スペックはめっちゃ低くていいからサブ用に重量が1000g以下で、キーボードが安定していて、10インチくらいのノートPCが欲しいなくらいに思っていたのだけれど、店頭でyogabook触った結果「yogabookが欲しい」になった。実際にあのキーボード使ってみたけど、長時間の打鍵は厳しい。あと完全にブラインドタッチは無理。でもあの値段であのかっこよさとサイズ感と重量は素晴らしい。13インチって外で使うとでかいのだよ。10インチ以下が好いね。

 

T駅喫茶店にて、「無為の共同体」を読み終える。

無為の共同体」について何れ書ければ良いな。何れ。

0513_2017

1200:起床 明らかに寝不足ではない。素晴らしい。

 

シャワーを浴びて、外へ出る。

T駅喫茶店で「無為の共同体」を読む。やはりナンシー凄い。

1530:S駅の本屋に入るが何も買わず。全体と部分がとても面白そう。

1630:創作カレーを食べる

1700:BUNKAMURAでソール・ライター展。

 

ソール・ライター展が予想以上に素晴らしくて感動してしまった。

食べたカレーが融けた。

Nが教えてくれた。ソール・ライター。

 

ソール・ライターは水彩画も描いていて、それもとてもよかった。僕もやりたいなと思った。確かにソール・ライターの写真は絵っぽい。写真から彼の優しさが溢れている。

彼の写真は、人と物の境界を剥がすように写し、窓による光の反射で被写体と世界の境界を溶かすことをよくやる人なのだなと思った。全く写真に疎いのでよくわからないのだけど、ああいうことできるんだなと思った。彼の写真はとても優しい気持ちになる。笑顔になった。

「当時カラー写真は下に見られていた」というような文章が壁に掛けられていた。それでも彼は初期のモノクロ写真からカラー写真へ移行し、撮っていたらしい。モノクロ写真は商業写真の域をでないという世論だったのだ。今でもそういった雰囲気は多分にあると思う。カラー写真で美を撮るのは難しいからだと思う。何故難しいかはわかる。その文章を読み終え、隣の写真に視線をずらすと、カラー写真が現れた。僕はその写真に眼を配った瞬間、時間が止まってしまった。見た瞬間に。被写体はなんの変哲もないただの信号機だった。雪が浅く積もるニューヨークの街の道路に、雪で凍り付いた信号機。「進む」を示す青(緑)色に点灯した信号機だった。

『灰色を背景にした青信号、ニューヨークにて』

その近くにあった、雪景色の写真も本当に好かった。なんだろう、あの景色は。

 

他にも有名?な『天蓋』も凄かった。が上記の作品たちの方が印象に残った。『天蓋』よくみたことなかったけど、そういう構図だったのですね。あとモノクロの写真の『少年』と『少女』もよかった。他にも沢山よかった。兎に角彼の写真は温かくて優しい。

 

絶対「ソール・ライターのすべて」買うぞ、と思っていたら、売り切れているらしく。次の入荷は5月20日?だということで、せっかくなのでまた観に行こうと思います。

 

あと、ソール・ライターの映画もまた上映するらしいので、今度こそ観に行く。

 

そのままNADiffで北園克衛の「白昼のスカイクレエパア」が置いてあり、迷わず買った。素晴らしい。北園克衛の本が4冊もあるなんて、、、一冊持っていたけど、あとの二つの詩集と写真集は持っていないので欲しい。いつか買うのでずっと置いてください。

 

なんか普通によい休日だった。

0512_2017

0700:起床 まぁまぁ寝不足。

 

なんか最近仕事の記憶が薄い。仕事は順調なのか微妙。ちょっと先周りして、リスク回避も兼ねて蓋開けしてみて、なんとなく感覚が掴めたのでよいかと。それとは別に時間が余ったので、来週に向けて若干仕事のお勉強をしていた。勉強してたら、来週のタスクの重そうなことなんのという感じなことが発覚。ちょっと来週しんどいかも。大丈夫大丈夫と言ってくれているが、全然大丈夫じゃないのでは。。。不安。。。

前の現場ではほぼ当たり前のように、2時間、3時間残業していたので、今のほぼ残業がないことになれると1時間でもしんどさがすぐに募っていくので嫌だなぁと思う。

 

朝、iBooksで本を買うことをした。今まで、論文とかのPDFを落とすとかだけだったけれど、Twitter辞めてからというものなんだか手持ち無沙汰で、本を開く場がないときなどに読めるので良いなぁと思い、手始めに熊野純彦氏の「レヴィナス入門」を読んでいる。通勤時とか喫煙所とか便利。書籍で買うか微妙みたいな(失礼)本についてはこれで割と良いかもしれない、若干安いし。ページ戻ったりするのがちょっと不便。でもその戻り辛さみたいなものが功を奏したり、一瞬で栞を挟めるし、一ページの文字数が少ない(本によるのかな)感じなので、そこは良さであると思う。あとはこれで普段全く関心がない本とか読みたいな。今後、iBooksの本棚がどんな感じになるのか自分でも楽しみ。

 

退勤後は朝Nから連絡が来ていたので、T駅の喫茶店で時間をつぶして合流。

仕事の話や音楽の話などをした。この前Nにプレゼントした、万年筆、とても気に入ってくれたようで嬉しい。早速その万年筆でバタイユの文章をフランス語で書いて写真で送ってくるようなやつなのだ。結構悩んだのだ。まぁまぁ良いものなので、万年筆が消滅するくらい使い潰してくれれば幸いである。

0511_2017

0700:起床 またしても寝不足。

今日中にけりがつくだろうと思っていたものが、今日の昼過ぎくらいにけりがついた。

残った時間で明日の予定のタスクをつぶす。ちょっと手ごわい。明日はともかく、来週から不安だ。来週からの作業を考えると部屋変えてくれないと相当やり辛い。

定時退社。退社というと辞める意味があるから、退勤を好んでいるのだけれど、定時を付けると途端に定時退社になるのなんとかならないのか。

 

相も変わらず、T駅喫茶店。相も変わらず、「無為の共同体」。

まとまったら一気に書くべきなのか、ちょこちょこと断片をここに書くべきなのかよくわからない。学生の頃どうやってノートを取っていたのか、どうやって本読んでいるのか自分でもよくわからない。

ブランショの「明かしえぬ共同体」はデュラスの前に跪くブランショのイメージが強すぎて、それ以外の記憶が吹っ飛んでしまっているのでまた読まねばね。

でも、デュラスの言葉の前で、大体の男が全滅するんだ。男は。

 

この前ふと、「ダダガー・ダンダント」って、「ヘンリー・ダーガ―」のことだよなと思った。尊さだ。

 

往々にして、存在者が「世界」と言うとき、存在者はその世界から剥がれており、同様に、存在者が「他者」と言うとき、存在者は他者から剥がれており、同様に、存在者が「私」と言うとき、存在者は「私」から剥がれている。私とあなたが違う唯一の根拠が私の思考であると主張する、存在者のように。しかし、本当にそうだろうか。

0510_2017

0705:起床。みたび睡眠不足。

 

タバコを吸ってシャワーを浴びて満員電車に飛び乗る。

電車は遅延。乗り換え。またしても遅延。入れず、一本見送る。

駆ける。ぎりぎり到着。仕事。眠いけど順調。取り敢えず、今のタスクが明日には終わるかな。問題は次だ。脳みそ。仕事の大変なのは見たくないものに向かい合わざるを得ないというよりは、もうとっくに切迫している問題であるということであり、解決しなければ永遠に解決しないのである。気分は破壊すべきである。定時で退勤。そのままS駅。CDを買う。T駅に戻り。喫茶店。「無為の共同体」を読む。クリナメン。ねぇ、kさん。クリナメンを破壊することで、"固い決定論"と手を結ぶだろうか。

 

今日こそは早く眠れるとよい。

0509_2017

 

0640:起床 睡眠不足。

 

フランスの大統領がマクロン氏になっていた。

 

出勤。只管に眠い。仕事は順調。この先は不安。少しだけ残業をする。

退勤。

 

いつも通りT駅喫茶店に入る。ナンシーの「無為の共同体」を読む。

昨日も思ったが、バタイユのシンポジウムと交差しているのだ。当たり前だが。

シンポジウムで、バタイユってこんな感じなんだっけということを思った。僕の思想と近しいものをバタイユに感じるとは思ってもみなかった。今何か近いものを感じている。これはナンシーのバタイユ解釈を通してバタイユが現れるということによる、バタイユの優位なのだろうか。不在の有。または自己に回帰することのない、関係それ自体。非-我有化における自由。"コミュニケーションの場"それ自体。ナンシーがこれに対する言葉を探しているが、この言葉はマリオンの"呼び求め"と同じではないのか?”コミュニケーションの場"それ自身よ。直観としてヘーゲルを読む必要に駆られている気がする。しかし、なんというのか、どう考えても支配者は存在者の存在であり、大いなる場であり我々は存在の要請からしか現象しない存在者でありそういった存在者でしかないのであるという思いが強い。僕はここに希望も見なることもなければ絶望を見ることもない。だが僕はとてもわくわくしている。

 

ビタミンCが家に届いていた。喫煙しつつビタミンCを摂るなんてと思いだろう。永久機関みたいでいいと思う。君は知っているか、神保町に薬局と煙草屋が融合している店があることを。