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生活

某テスト氏の生活

0529_2017

0710:起床

 

「あなた、3日も日記を書かないで、何してたの。」

「すみません。もう殆ど憶えてないので今日から書きます。」

 

仕事は、まぁまぁ。なんでそれ今振ってきた、みたいなタスクが降ってきてなんとか倒しました。話聞いた瞬間は「はい死んだー」と思いましたが、なんとかアドバイス受けつつ倒しました。明日もその続き。今日のペースでいけば終わる。

 

会社の人とダーツを投げました。

 

 

とはいえ、なんか書き留めておきたいのでいろいろ書く。

土曜日にダーツを買いました。そのまま遊んでました。フォームも前より固まってきたのかスコアも徐々に向上してきました。

 

某楽器を弾くことになりました。なんで急にということですが、自分でもちょっと驚いています。実際やるかやらないか悩んでいたけれど、詳細の連絡がきて、「では、」という感じです。あなたがいってくれたから。じゃなきゃ俺は何もできんのだ。あの人がいつも手を引っ張ってくれる。何度もその手に、手を伸ばすように。2年前からずっと変わらない。お人好しで明るくて強くて優しい人。少しでも時間を共にできるなら、できる限りそうしたい。

なんの楽器でもよいということで、じゃあ、家にあるしあれでということで始めました。昔買ったものの無理で無理だったので封印していました。全く弾けないのでkの力を借りて、というよりほぼ家に殴り込みにいって教わりました。一曲覚えます。だいぶ覚えました。もうあと終盤。かなりよい感じで進んでいます。kの力は偉大だ。流石。この恩はいずれ。なんか久々にリハスタに入ったりなんかして楽しい。今日も帰って練習をしました。気を抜かないで。

 

自分の人生はあの人で動いている。

でも、たとえば、悲しませてしまっても、それは俺の責任だ。

よいことはあの人のおかげで、悪いことは全部俺の所為だ。

それはどんな時も。

 

 

 

突然、動きだす、急、駆ける5月。

0525_2017

0630:起床

 

仕事はまずまず。今月はなんとかなりそう。

来月はみんなで死のうな。みたいな雰囲気になっている。

いやぁなんとかしたい。考えよう。定時。

 

 

足を止める力が失われていることに気づく。

 

 

0524_2017

0710:起床

 

だったと思う。

 

出勤。お手伝いをしまして、なんかさらにまたお手伝いしまして、

分担したけど俺の方が重いのですが、と思いながらも。

 

この日記を書き続けることの不安に襲われた。

0523_2017

0630:起床

 

早く寝たので寝不足じゃない。奇跡。

ゆっくりシャワーを浴びて部屋へ戻ると返事が来ていた。また逢える。嬉しい。

  

仕事はと言えば、思ったよりも自分の方が片が付いてしまい。(まだだけど。)

メンバーの手伝いをしました。理解したけれども、ちょっと重い。明日ぎりぎり終わるかどうか。バッファは明日の午前中まであるから、それまでには終わる、はず。

 

 

www.youtube.com

0522_2017

0705:起床

 

圧倒的寝不足。

あの恐るべきタスクを見事倒した。。。

が、主、残酷なり。また別の恐るべきタスクがカーテンレールの端からこちらを覗いているので、音速でカーテンを閉めたい所存である。

 

 

昨日の影響なのかマクタガートの「時間の非実在性」を読んでいる。

このiBooksを利用して思ったのだけれど、同時に本読むの僕は無理っぽいのでいずれ止めるかもしれない。

 

返信が来るか来ないか、本当に死んでしまいたくなるほどの時間。

返信が来て、泣きそうになるくらい嬉しかった。

言葉を返してはまた不安の中に落ちる。また余計なことを言ってしまったかもしれない。もうわからない。

0521_2017

0915:起床

 

電車の中でレヴィナス入門を読み終える。

僕が思っていたレヴィナス像とほとんど一致していたと思う。

 

大切な用があったのでそれを。

内容は書かない。とても大切なものだから。

 

僕は変わらず想っている。

僕はいつもこれが最後かもしれないと思いながら。

もし、あの人がそう望むなら。僕の目の前から消えようとも。僕は絶対に嫌だけれど、もしそうなら、僕は僕を殺してあの人の望む方へ、自分の世界の、或る1%の想い以外が、消え去る場所へ進む覚悟はできている。それでもこれだけは、僕は変わらず想っているということだけは。

 

今日は本当にありがとう。ずっと憶えている。

0520_2017

1000:起床

 

今日は友人nと会いました。

T駅喫茶店で仕事の話とか音楽とかソールライターとか。

 

Sに行き徘徊。飯を食って、S喫茶店のち、一人喫茶店。

 

T駅の喫茶店でおかわりシステムがあることを店員さんが教えてくれて、半額でコーヒーを頂いた。とても助かります。さすがにこんだけ通っているので顔を覚えてくれていたようで、「先ほどいらっしゃいましたよね。おかわりは半額になりますので。」と。「今までなかったですか?」と聞かれ、「あまり一日に二度来ることがなかったので」と伝えたら「レシートがあれば半額になりますので。」僕は「そうだったんですね。」と言ったら笑顔で「いつもありがとうございます。」と言ってくれた。僕は「いえ、こちらこそ、いつもありがとうございます。」と返して階段を上った。よい店員さんである。大学生だろうか。いろいろあると思うが彼が好い人生を歩むことを祈っている。

 

帰宅。夕飯を食べて、こうして昨日の分の日記と今日の日記を書いていると、連絡が来た。ありがとう。楽しみにしてます。

0519_2017

00700:起床

 

やや寝不足。

寝不足でない出勤が求められている。もともと高校の頃からこの夜型の生活が染みついてしまっており、社会人になっても変わらず、矯正しても矯正しきれないで困っている。だれか助けて。

 

(このかっこ内の文は、仕事の反省文の意を示す記号。)

 

日記が一日遅れてしまった罰ゲームを以下に記しました。 

 

そのあとは現場のメンバーと夕飯を取って、ダーツをしました。

立ち位置、肘を固定すること、ダーツの持ち手、スイングのスピード、手を放すタイミング、軸足を直線的な棒にすること。その他それを支えるすべて。これらを固定すれば、同じ場所に飛ぶはずなのであるが、そうもいきません。かなり筋力がいる。瞬発的な筋力ではない、筋力。待機することの筋力の方が重要である。難しい。投げた瞬間にはなんとなくわかる。これが投げる前にわかるようになると上達しているということだ。本来的に投げる前からダーツは投げられている。つまり、ダーツが的に刺さる前にダーツは刺さるべきところに既に刺さっている。ダーツが的のどこに刺さるかは、手を放す瞬間に決まるのではない。このようにすべての"可能性"は"終わっていることの可能性"であるように思うのだけれど。皆さんはいかがでしょうか。つまり、そのような可能性は伏蔵していただけであり、ダーツの上の例でいえば、"その他それを支えるすべて"という今僕が不可視にしたものにあると思いませんか。エネルゲイアエネルゲイアとしてあるのは人間の認識の問題でしかないということを。ダーツは多分に意識によって成績が変わります。が、この意識は例えば"集中"というような言葉で内包されたりしますが、集中は中に集めると書きますが、集めるこの意識は既にどのくらい集められるかという袋に依存します。ここで袋は外部性と思っていただいて構いません。また、"その他すべて"。袋の大きさは袋の内の大さで決まるというよりは、袋の表面によって決定されます。外に決定される。つまり袋の大さは内側の大さではなくむしろ、外側の大きさ、袋の大きさによって決まります。しかし、袋それ自身に、外と内という定義は存在しない。定義は意味に遅れている。あるのは私の視点を通してそれが袋の外ということを示す定義である。この定義は判断でありうる。袋自体に外側だとか内側という意味は存在していない。外の規定(存在者の判断により、内部が決定される。それと同時に外部が決定される。順番は問われない。)これは家も同様です。"外部による規定の内部の内部"それが価値であり、意味であろうか。おそらくそうではない。外部は既に意味づけられている。この円環の中で常に再定義されうる。そこからさらに外部が再び立ち現れるというように。故に何事に引けを取ることなく、意味はあらゆるものに先行している。それは(正・非)を越えている。受け取ってしまっているという意味で。もともと空間性は無限に等しい。空間の無限性は、全く手つかずの場合に空間とは無限性であり無意味性でもある。空間が有限なのは、人間が有限だからである。つまり、有限者の手に触れるもの、手垢に塗れた空間だけが価値を持つ(例えば建築物)。袋それ自体は内部と外部の境界にあるが、しかし、袋それ自体の本質は中にあるのではなく、外に決定された内部であるということである。ここで、価値と意味を分けなければなりません。「価値がない」または「価値がある」ことの"判断"は世界の無限性に対して、ある有限者が示す場合にのみ、可能である。しかし、ここでまた"判断"ということが問題となる。"判断"、"価値"、"意味"一体この3つはなんなのか。何が最もアプリオリなのか。それは順序立てるとすれば、"価値"は"価値判断"という言葉があるように、価値は判断に依存している。"意味判断"という言葉がないのは何よりも、有限者が何らかの意味をすでに受け取ってしまっているということである。つまり、判断をする前に受け取ってしまった意味によってしか判断はなされない。したがって、(意味→判断→価値)ということになるだろうか。問題はもっと入り組んでいる。この私がこう解釈しているということは何一つ自明ではない。これは判断である。つまり、なんらかの経験と知識に基づいている。しかしいずれも、どの知識を使うか、どの経験を使うか、という判断である。判断が常に間違い得るのはすでに意味(正・非)を越えて意味を受け取ってしまっている存在者の判断であるからである。さらに、(正・非)はなんら自明ではない。そもそも世界とはただあるのである。それは絶対零度である。しかし有限者はなんら絶対零度ではない。なぜならば、(正・非)を越えて有限者とは、既に意味を受け取っている者であるからである。世界はただある。同じように存在もただある。しかし、ただあることができないのはこのようになんらかの意味をすでに受け取ってしまっているからに他ならない有限者だからである。それは超越性としてあるのではない。”物がただ在る”というのは客観的でもなんでもない。そうさせているのはそういった事情である。繰り返し述べるが、"意味"は(正・非)を越えている。つまり、内部こそは既に無限なのではあるが、これが内部の空虚であり、外部は常に十全である。つまり、超越である所以ではないか。そして、仮に意味・判断・価値が円環の中での出来事であるならば、すべてもうすでに終わっているものの謂れなのではないのか。

 

さて、このわけの分からない文章。私にもよくわからないと言っておきたいがなんらかの意味になってしまっていれば僕はそれで達成したことになるのではあるが。それはつまりなんでもよかったのである。

0518_2017

0650:起床

 

やや寝不足。仕事は思ったより期限までには何とかなりそう。他のメンバーはつらそう。

1730:退勤。

 

熊野純彦の『レヴィナス入門』は思ったよりもよい。後半よい。

 

T駅喫茶店にて。

ヘーゲルの『精神現象学』も大変よい。

 

特に書くこともなく。

0517_2017

0715:起床

 

睡眠不足。時間ぎりぎり。

 

夢を見た。夢の中の僕は、「今日で自分が死ぬ」ということがわかっていた。

気が付くと寂れた巨大な遊園地にいた。巨大なジェットコースターが視界に在った。

僕はそれを眺めながら、大切な人に「電話で自分の死のことを伝えようか、それともそれを伝えずに、ただ電話をかけて声を聞こうか、それとも連絡をせず、直線的に死に向かってそのまま流れに身を任せるか」ということを考えていた。夢の中の僕は、現実の僕と同じ人を「大切な人」と認識していた。僕は電話をかけなかった。

夢から覚めたとき、自分の心臓が痛いことに気づいた。

 

仕事はまぁ予想通り大丈夫じゃない。本当にぎりぎり。

明日明後日が勝負。

定退日なので1730退勤。

 

iBooksで買った、熊野純彦の「レヴィナス入門」を読んでいるが、彼はフッサール解釈、ハイデガー解釈、レヴィナス解釈に失敗していると思う。

これ以上、読む必要がなさそうだが買ってしまった手前何処かで僕はすでに敗北している。更に、どこがどう失敗しているのかすべて記述できなければ僕は、結局敗北していることになるだろうか。とりあえずこれを最後まで読み切ろうと思う。

0516_2017

0530:起床

 

昨日気づいたら寝ていて。目が覚めたらこの時間だった。

故、昨日の日記の更新が今日の朝となった。

いつもより50分ほど早く家を出て喫茶店でパンとコーヒーと煙草と読書。

ヘーゲルの「精神現象学」を読む。模範社会人である。

天気も良く店内に差し込む日差しが温かく。

 

仕事はなんとか。明日は定時。

金曜日に現場の人とダーツをやりに行く約束をした。

今日は1930:退勤、今週はなんとかなるかな。ぎりぎり。

来週のことも考えなければちょっと厳しいかもしれぬ。

合間に芦田氏のこれをずっと読んでいた。

http://www.ashida.info/blog/2011/11/1988.html

 

0515_2017

0650:起床 睡眠不足

 

仕事はなんとかなった、割と。指摘を受けたところはごもっともなので修正ということになり、修正しましたが寧ろこの作業で理解が深まったのでよかったと思う。残業。

1900:退勤

 

T駅喫茶店で煙草を吸って只管何もしない。

 

積んである本を読むべきなのか、ナンシーを読み返すべきなのかよくわからない。

 

2245:就寝 していたと思う。気付いてら寝ていた。

0514_2017

1200:起床

 

T駅喫茶店に入る。

無為の共同体」を読む。

 

なんとなく家電製品を見に行った。

なんというか新しい物欲しさ故。気分を変えたい故。

取り敢えずPCが欲しい。現状Sueface Pro3を使っている。

自立しないヒンジと若干の大きさと排熱の悪さ以外はなんともない。

寧ろカッコよさにひかれたのでそのあたりは小さなネガティブさでしかない。

 

最初は、スペックはめっちゃ低くていいからサブ用に重量が1000g以下で、キーボードが安定していて、10インチくらいのノートPCが欲しいなくらいに思っていたのだけれど、店頭でyogabook触った結果「yogabookが欲しい」になった。実際にあのキーボード使ってみたけど、長時間の打鍵は厳しい。あと完全にブラインドタッチは無理。でもあの値段であのかっこよさとサイズ感と重量は素晴らしい。13インチって外で使うとでかいのだよ。10インチ以下が好いね。

 

T駅喫茶店にて、「無為の共同体」を読み終える。

無為の共同体」について何れ書ければ良いな。何れ。

0513_2017

1200:起床 明らかに寝不足ではない。素晴らしい。

 

シャワーを浴びて、外へ出る。

T駅喫茶店で「無為の共同体」を読む。やはりナンシー凄い。

1530:S駅の本屋に入るが何も買わず。全体と部分がとても面白そう。

1630:創作カレーを食べる

1700:BUNKAMURAでソール・ライター展。

 

ソール・ライター展が予想以上に素晴らしくて感動してしまった。

食べたカレーが融けた。

Nが教えてくれた。ソール・ライター。

 

ソール・ライターは水彩画も描いていて、それもとてもよかった。僕もやりたいなと思った。確かにソール・ライターの写真は絵っぽい。写真から彼の優しさが溢れている。

彼の写真は、人と物の境界を剥がすように写し、窓による光の反射で被写体と世界の境界を溶かすことをよくやる人なのだなと思った。全く写真に疎いのでよくわからないのだけど、ああいうことできるんだなと思った。彼の写真はとても優しい気持ちになる。笑顔になった。

「当時カラー写真は下に見られていた」というような文章が壁に掛けられていた。それでも彼は初期のモノクロ写真からカラー写真へ移行し、撮っていたらしい。モノクロ写真は商業写真の域をでないという世論だったのだ。今でもそういった雰囲気は多分にあると思う。カラー写真で美を撮るのは難しいからだと思う。何故難しいかはわかる。その文章を読み終え、隣の写真に視線をずらすと、カラー写真が現れた。僕はその写真に眼を配った瞬間、時間が止まってしまった。見た瞬間に。被写体はなんの変哲もないただの信号機だった。雪が浅く積もるニューヨークの街の道路に、雪で凍り付いた信号機。「進む」を示す青(緑)色に点灯した信号機だった。

『灰色を背景にした青信号、ニューヨークにて』

その近くにあった、雪景色の写真も本当に好かった。なんだろう、あの景色は。

 

他にも有名?な『天蓋』も凄かった。が上記の作品たちの方が印象に残った。『天蓋』よくみたことなかったけど、そういう構図だったのですね。あとモノクロの写真の『少年』と『少女』もよかった。他にも沢山よかった。兎に角彼の写真は温かくて優しい。

 

絶対「ソール・ライターのすべて」買うぞ、と思っていたら、売り切れているらしく。次の入荷は5月20日?だということで、せっかくなのでまた観に行こうと思います。

 

あと、ソール・ライターの映画もまた上映するらしいので、今度こそ観に行く。

 

そのままNADiffで北園克衛の「白昼のスカイクレエパア」が置いてあり、迷わず買った。素晴らしい。北園克衛の本が4冊もあるなんて、、、一冊持っていたけど、あとの二つの詩集と写真集は持っていないので欲しい。いつか買うのでずっと置いてください。

 

なんか普通によい休日だった。

0512_2017

0700:起床 まぁまぁ寝不足。

 

なんか最近仕事の記憶が薄い。仕事は順調なのか微妙。ちょっと先周りして、リスク回避も兼ねて蓋開けしてみて、なんとなく感覚が掴めたのでよいかと。それとは別に時間が余ったので、来週に向けて若干仕事のお勉強をしていた。勉強してたら、来週のタスクの重そうなことなんのという感じなことが発覚。ちょっと来週しんどいかも。大丈夫大丈夫と言ってくれているが、全然大丈夫じゃないのでは。。。不安。。。

前の現場ではほぼ当たり前のように、2時間、3時間残業していたので、今のほぼ残業がないことになれると1時間でもしんどさがすぐに募っていくので嫌だなぁと思う。

 

朝、iBooksで本を買うことをした。今まで、論文とかのPDFを落とすとかだけだったけれど、Twitter辞めてからというものなんだか手持ち無沙汰で、本を開く場がないときなどに読めるので良いなぁと思い、手始めに熊野純彦氏の「レヴィナス入門」を読んでいる。通勤時とか喫煙所とか便利。書籍で買うか微妙みたいな(失礼)本についてはこれで割と良いかもしれない、若干安いし。ページ戻ったりするのがちょっと不便。でもその戻り辛さみたいなものが功を奏したり、一瞬で栞を挟めるし、一ページの文字数が少ない(本によるのかな)感じなので、そこは良さであると思う。あとはこれで普段全く関心がない本とか読みたいな。今後、iBooksの本棚がどんな感じになるのか自分でも楽しみ。

 

退勤後は朝Nから連絡が来ていたので、T駅の喫茶店で時間をつぶして合流。

仕事の話や音楽の話などをした。この前Nにプレゼントした、万年筆、とても気に入ってくれたようで嬉しい。早速その万年筆でバタイユの文章をフランス語で書いて写真で送ってくるようなやつなのだ。結構悩んだのだ。まぁまぁ良いものなので、万年筆が消滅するくらい使い潰してくれれば幸いである。